パンノンハルマの朝に、約束の向日葵を。序章

 ────夢を見た。

 燃えるような夕焼け空の下、小麦畑の中に立っていた。

 夕日に染まった小麦畑は黄金色に輝いて、大海原のようにどこまでも広がっている。

「ハンナ、ハンナ」

 耳元でそう囁く声が背後から聞こえた。

 振り返ると囁く者はおらず、どこへ行ったのか代わりに家が建っていた。

 小麦畑の中に一軒だけ。

 漆喰の白壁に赤茶色のレンガ屋根、村でよく見る昔からある伝統的な家屋だ。

 ふと足元を見ると小麦の踏まれた跡が家の入り口まで続いている。

 そして目線の先の木造扉がギィ、と音をたて少しだけ開いた。

 それにつられるように家に近づき扉のドアノブに手をかけてそっと中を覗き込んでみると室内は薄暗く窓から入る夕陽の光が床に差し込んでいた。

 恐る恐る中に入って静かに扉を閉める。

 扉付近のスイッチを押しても天井の電球の明かりが付く気配はなかった。  

 どうやら電気は通っていないようだ。

 と、その時。

 奥へと伸びる廊下の先から足音が聞こえた。

 廊下は窓からの光は届かず真っ暗だった。

「こんにちは。お邪魔します」

 声をかけても返事はこなかった。

 暗闇の廊下を手探りで進むと階段が目に見えた。

 突然、ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえた。

 その音を頼りに近づくと2階へ伸びる階段の踊り場部分の小窓から夕陽の光が天使の梯子のように1階に向けて差し込んでいた。

「こんにちは」

 2階へ上がりながら、2階にいるだろう人物に声をかける。

 返事はない。

 2階へ上がると廊下に沿っていくつもの部屋がホテルのように並んでいた。

 適当な部屋の扉をゆっくりと開けると、その部屋は何もなかった。

 家具も何も、窓にかかるカーテンもだ。

 そんな部屋の窓から眺めた景色は思わず息を飲んだ。

 情熱的に真っ赤に燃える夕陽は間もなく沈み、空模様は代わって静寂な神秘の青の夜空に変わりつつあった。

 日没間近の薄明かりに照らされた小麦畑と広大な空が芸術的だった。

 暗くなる前にこの家を出よう。

 そう思って部屋を後にしようと窓から振り返った時。 

 部屋の入り口から手が伸びていた。

 片手とその手首だ。

 伸びる片手は手のひらを天井に向けてその上には小麦の粒が乗っている。

 その手のひらを少し傾けパラパラと小麦の粒を落としていた。

 その手のひらは人の手ではなかった。

 緊張の糸が張り詰める。

 その手は黒く、伸びる爪は鋭く獣のようだった。

 身の毛がよだち足は立ち止まる。

 パラパラと落ちる小麦の粒に目が離せない。

 次第に部屋は日没により暗くなり、闇にのまれつつある時と重なって伸びる手のひらの小麦の粒が全て落ちた時。

 その正体をのぞかせた姿に戦慄した。

 瞳は黄色く鋭く光り、頭部には角が生えた、人とは到底思えない。

 悪魔の姿があった。

 ────そこで夢は覚めた。

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